先日、外部講師の先生を招いて、園内研修を実施しました。
研修を受講した、S先生の研修記録を共有します。教育・保育への熱い思いが伝わってきます。
そして、宮前が大切にしている「創造性」
園内研修によって「創造性」の捉え方が、何段階も深みを増しました。
※子どものイニシャルは名前とは関係ありません。
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〈研修記録〉
昨日、山崎先生の造形表現研修を受けさせて頂いた。
これまでの学びと結びつくことが多く、教育、人育てにおいて普遍的な、本質的な思考を深めることの重要性を感じた。
「子どもにノルマはない」強く共感する。やりたいからやる。
何百年も前から、ルソー、フレーベル、モンテッソーリ…子どもの観察を続けてきた人たちは、「自然な欲求」に即すことの大切さを説いてきた。
自然な欲求は生きていく上での「必要性」から生じてくる。
その欲求を持っているからこそ、子どもたちは「自ら育つ力」を持っていると解釈する。大人が子どもを規定し、何かを強制しない限り、自然な子どもの状態は「主体的」なのだと分かる。
山崎先生のお話もそういうことであったと理解した。
作品を作ることが造形表現の目的ではない。造形表現を存分に楽しむ過程で、様々な育ちが促される。その力の一つに「自分で決める力」とあった。
なんの画材を用いて、何色で、何を描くのか。描く行為そのものが表現であって、何かを描かなくてもよい。そして「やってもやらなくてもよい」。やらないと決めることは、やることを決めることと同様に尊いことである。
子どもの判断を最大限尊重し、気持ちに寄り添いながらも、いつでも参加できるような、やらないといった子どもの興味関心が芽生えるような、気持ちが動き出し参加せずにはいられないような、そんな環境をデザインすることが保育者の役目だと再認識した。
研修後に思考を巡らせる中で、運動会の年長競技、S組の取り組みを思い返した。ポートフォリオにはその取り組みの過程が、とても分かりやすく記されていた。
牛乳パック競技のアイテム作りへ気持ちが向かないが、何か良いアイディアを持っていそうな様子のT。Tが活躍できる場として作戦会議を開くと、様々なアイディアが出てくる。その後から、Tは友だちへ提案をしたり、他クラスに作戦がバレないよう守る役目を担い、遊びへ参加し、クラスへ貢献することができた。
また、他にも難しさ、恥ずかしさ、緊張などの「理由」から、アイテムを作って参加する以外の方法で貢献する子どもの姿を捉え、「一人一人」なりの参加の仕方=表現を尊重している、A先生の保育観がとっても素敵だった。
「子どもはしたことないことに用心する」。「しない」のには理由があり、それは「しない」と決めた子どもの意志であり、すると決めたことと同等の判断。「今日はしないと決められたんだね」という言葉をかけてみよう!「しないと決められた子どもは、やることも自分で決められる」。いつでも入りやすい雰囲気をつくり、「やってみる?」と誘おう。すぐにできなくて当たり前、「いつでも助けてあげる」姿勢を大切にしよう…
山崎先生のお話を体現しているかのようなエピソードでした。
そして本日、稲コキの取り組み。
機械でワラと米を分ける子、カップで集める子、ザルを使う子、桶で受ける子、一つの活動の中でも「興味関心の違い」があるからこそ成立する姿があった。
「造形活動をやらなくても、作品を作ることが目的ではないから、他の遊びから必要な体験を得られればそれで良い」と山崎先生がお話していた内容が、一つの活動の中でも見られた。一人一人が興味を深めたこと、やっている行為は違えど「稲コキやお米について知る」「稲コキを協働的に楽しむ」といった目的は果たされていた。それは「一人一人の違い」=「個性」が重要であるという意味だとも考えられた。
そして、どんな魅力的な遊びも強制したとたんに、それは子どもたちにとって遊びでは無くなり、魅力を失ってしまうのだろうと気づかされた。
造形活動以外にも通ずる、幼児教育は生活と遊び・環境を通して行うことの本質に触れたこの大きな学びを、保育の各場面で活かしていきたい。
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今回の園内研修での学びを職員間で共有し、豊かな保育実践に繋がるように生かしていきます。